完全に猫なのさ

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ベイベーの日記/くちばしを、みがけ!

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ロイホのいちご、2ndシーズン!

 

ツアーの抱負として「考えすぎない」をしつこく書いたのに、初日が終わったばかりでもう破ってる。

でも、人と喋って考えてすっきりしたので書いておきます!

 

私、自分でこういうキャラを作っていますが、優しく見えるみたいです。

そのせいか、DMをいただくことがあります。別に感想とかじゃないです。

昨年のツアー中はDMを開放していて、そのときはもっとありました。

 

でも真摯に耳を傾けてお答えするうちに、結果的に私からの「優しい言葉」を期待して送ってこられているのかも、と気づきました。

 

先日の記事で触れた、小説家で推し活をしている知人がレポなどは書かないようにしている件、そのときはなんとなく濁したけど、その理由は「消費されてしまうから」でした。

私はがんばって書いたものを読んでいただけると嬉しいけど、自分は何も覚えてないけど全部書いてあってラッキーみたいに思われているとちょっと悲しいです(※記憶漏れあるし、わざと端折ってるし、全部書いてませんよ)。

ふつう何らかのリアクションは嬉しく思うのに、ほんのちょっとした言葉の違いでしかないのに、それに傷つくのは心が狭いから?

消費されることは甘んじて受け入れるから、“そういう感じ”で読んでいることはわざわざ伝えないでほしいな…。

 

…と思うことがあった中で、また長いDMをいただき、今回は、自慢というか、「よかったねですね!」「おすそ分けありがとうございます」を期待しているのかなという内容でした。心が折れました。

 

この記事はきっとご覧にならないと思いますけど、もう伝わっても構いません。

私が落ち込んでポテトの写真を上げた理由も、レポの優劣をつけられたからと勘違いしていらっしゃるようなので…。

 

私の文体/態度の現状は、ある意味、過剰適応の成れの果てなのだと思っています。

頼まれてもないのに、ポケットにメモ帳とペンを忍ばせて、どこか俯瞰する気持ちでステージを取材するように見て*1、常に脳のリソースの一定量を記憶のために割いて、なんでこんなことをしているのか。楽しむことに全振りして、あとで誰かの書いたものを読んでゆっくり思い出せるなら、私だってそうしたい。

求められるものを提供できる自分でないとコミュニティに受け入れてもらえないから、という強迫観念なのかもしれませんね。本当は少ないながら大切な友人、知人がいるから、大丈夫なのにね。

でもやっぱり自分のために書きます。読み手には私の主観が邪魔かもしれないけど、自分の感受性において、自分の感じたことを書きます。書き残さずに忘れてしまうなんて、やっぱり無理。

 

昨日は同期と2時間スタジオに入って過去曲を練習してきました。振付の忘れっぷりに爆笑しながらいい汗かいて、ロイホでパフェをつつきながら話を聞いてもらって、すっきりしました。

妹は深夜までLINEにつきあってくれて、「お姉ちゃんは他人の快不快より自分の快不快をもうすこし優先していいよ」「摩耗する前に自衛したほうがいい」「くちばし、みがいて!」とのことでした。

 

強そうな鳥になったらいいかなと思って「鳥 強そう」で画像検索をしてみました。だいたい猛禽類でした(そりゃあそう)

 

消費されるのは受け入れるから、優しさまで搾取しに来ないでください。

想像力のない方とかかわることを、私はやめます。くちばし、結構とがった感じでいきます、これからは。

 

*1:それはまあいつも後ろの席にいるからね…!