完全に猫なのさ

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老いというスティグマ/Netflix「桜のような僕の恋人」感想

えと…約1年遅れで鑑賞いたしましたので、感想をちょっとだけ書いておきます。

 

 

はじめに〜「余命もの」への私の偏見

最初に身も蓋もないことを書きますが、私はちょっぴり(だいぶ)ひねくれているので、いわゆる「泣ける映画」を素直に楽しめないところがあります*1

そのジャンルの1つ「余命もの」もそうです。惹かれ合っていた若い男女がいて、そのどちらかに病気がわかって、綺麗なまま儚く命を終える。残された方は、悲しみを乗り越え、思い出を胸に生きていく。

この映画もその類型に当てはまるのだろうな〜と思っていました。ひねくれているので…。

 

では本作は「余命もの」だったのか

途中まではある程度予想通り

蓋を開けてみれば、本作は「そうだった」とも言えるし「全然違った」とも言える作品でした。

カメラマン見習いの晴人(中島健人と美容師の美咲(松本穂香が出会い、アクシデントをきっかけに距離を縮めて、告白して、キラキラした思い出を作って、だけど思いもよらない病気が発覚して…というところまでは、だいたいセオリー通りと言えるかもしれません。

だからかもしれませんが、私はつい、美咲が早老症を発症してからは晴人と会えなく(会わなく)なるのだろう、だから晴人の目線で考えると、画面には、急速に老いてゆく美咲の姿はあえて映さないのかもしれない、と思っていたのです。

実際、美咲が病気を隠して「他に好きな人がいる」と晴人に一方的に別れを告げるところまでは、ある程度は、想定の範囲内でした。

 

想像を超えてきた「発症」以降

離れ離れになった2人の生活を描くとき、美咲のパートでは、思いの外、その「老い」をはっきりと見せつけられることになりました。

最初は、フードやスカーフをかぶって容貌を隠す美咲の、しわしわになった手元だけ映したりしていたのだけど、その後、兄の婚約者である綾乃(桜井ユキに白髪を染めてもらうシーンでは、老いた姿を鏡越しのカットで真正面から捉えます。

急速な状態悪化で入院したシーンでは、手元のスマホのインカメラで自分の顔をまじまじと見つめるカットが登場します。あえて本人は映さずに、そのインカメラを中心に据えて、そのカットが、すごく、苦しいなっていうくらい、長いのです。このスマホを用いたカットは、診断を受けたときに病気のことをググっていた美咲が症例写真にショックを受けるシーンと呼応します。

鏡越し、インカメラ越しという撮り方は、非常に残酷です。ここには、「自分がどう見えているか」を憂う、美咲の思いが投影されているのだと思います。

一貫していたのは、身体症状のつらさよりも、容貌の変化に対する心の辛さを描くこと。美容師という人を美しくする仕事をしていたのに、信じられないスピードで若さと年相応の美しさを失っていく。その苦しみは、優しい兄の婚約者をも遠ざけることになります。

美咲を演じた松本穂香さんは特殊メイクで挑んでいたそうですが、若い俳優が老婆のような見た目でカメラの前に立つことは相当なつらさがあったと思います。執拗なまでに容貌にフォーカスする描き方だったからこそ、それはなおさらでしょう。でも下記のインタビューからは、制作側のケアが行き届いていたことも垣間見え(特殊メイクの状態では絶対にケンティーさんに会わないようにするなど)、興味深かったです。

www.banger.jp

「老いというスティグマ」がそこにありますよ、という見せ方

中盤以降は恐ろしいスピードで老いが進行していく様子が描かれ、兄の貴司(永山絢斗が妹を思うあまり民間療法にお金をつぎ込んでしまったり、美咲が排泄に失敗したりと、つらい描写も登場します。一方、自室のベッドが介護ベッドに変わり、訪問入浴などの在宅介護サービスが入っていく様子はとてもリアルでした。

本当の老人ならば、身体の衰えを受け入れて前向きに歳を重ねてゆくことができるかもしれないけれど、発達段階もまったく追いついていない実年齢25歳の女性に、そんなことができるわけがない。だから、老いが深まる描写はひたすらに残酷に感じました。

この映画が示そうとしたものは、「老いというスティグマなのだと思います。決して、老いを否定するメッセージを発するのではなく、「老いというスティグマ」がそこにありますよ、と静かに、けれど無情に指し示すような方向性で。「正面から撮られる老い」に私たちが思わず目を逸らしたくなる、という作用にこそ、作り手の狙いがあるのだろうと感じました。

 

クライマックスシーン。杖をついて晴人の写真展に出かけた美咲(このときおよそ90〜100歳くらいの容貌)は、雪道で崩れ落ちてしまいます*2。そこに通りかかり「大丈夫ですか」と駆け寄ってくれた晴人は、美咲だと気づくことができませんでした。美咲の死後、遺品の中にそのとき拾い上げたピンクの毛糸の帽子を見つけ、晴人は悲痛なまでに慟哭します(ケンティーさんの演技よかったです…!)。

写真展のくだりからは泣きながら観ておりましたが、逐一、いろんなことが残酷で、それで泣いていたという感じですかね…。

 

遺品のハサミで喉元を掻き切ろうとしていたところに、美咲の別れの手紙が届けられ、また前を向こうとする晴人。この終わり方はしっかり定石をなぞっていると言えるでしょう。

「余命もの」の定番である「難病」が原因でしたが、それよりも観客が対峙を余儀なくされたのは、若くして迎える「老い」の残酷さでした。老いは誰もが迎えるものであり、さらに2025年問題など、社会全体で考えるべきものです。その点では、アイドル映画、または泣ける映画としてだけ受容するには惜しい作品と言えるでしょう。

 

大御所カメラマン「澤井恭介」の見どころ〜説得力としての及川光博

…マジトーンで書いてしまったので萌え語りをすると温度差で風邪を引きそうですね(真顔)。マジトーンの文章に需要ないのはわかってるょ…*3

澤井恭介。五角形のメガネをかけているちょっと(だいぶ)クセ強めの大御所カメラマンでした(観ながらペンタゴン澤井ってあだ名をつけた。やめなさい

めっちゃくちゃ出番が少なく、さらに初登場も遅めだったのですが、出し惜しみされたからこそ、駆け出しの晴人がかんたんに会える相手ではないことが効果的に伝わりました。

そうやって満を持して登場した澤井の本物感が、すべて。広告写真で神と讃えられるような写真家は実在しますが、そのなかの一人なんだなぁって短いカットで納得させられちゃうのよね。レストランで晴人が美咲に見せていた雑誌のグラビアが秀麗すぎて、どこで手に入るの??雑誌コード教えて??

アンリ・カルティエ・ブレッソンの引用とか、しびれたよね…。そういうのもっとちょうだい!!

クレジットは安定のトメ。出番少ないのに超絶説得力あるわ。みたいな起用、すごくいいなぁと思います。すっと出てきてしっかり印象づけて作品全体の重しになるような役者さん、なかなか稀有なんじゃないでしょうか。

 

 

時期を逸しておりましたがちょっとした待ち時間があったので鑑賞してみました。たまには映画もいいね(カテゴリ選択で「映画」久しぶりにつけた!)。

過去作もまた時間をみつけて観てみようと思います。

 

*1:高2の修学旅行の話。小牧空港から志賀高原まで5時間の道中、貸切バスの中で「アルマゲドン」のビデオが流れ、みんなが最後スンスン泣いていたのに私は「なんでだよ」って思ってた。自己犠牲礼賛もちょっと苦手なんだと思う

*2:どう考えても付添+車椅子でなければ無理でしょ!?という状態でしたがこのシーンのためには必要でしたね…

*3:宣伝のしかたもアイドル映画寄りになるのが当然だとは思うけど、「泣ける」だけだとちょっともったいない気がしてつい…