
東京文化会館のシアター・デビュー・プログラム「彼女のアリア」を観に行ってきました!
シアター・デビュー・プログラムとは「クラシック音楽と他ジャンルがコラボレーションしたオリジナルの舞台作品を、一流アーティストを起用して小学生と中学・高校生に向け、企画制作するプログラム」とのこと(公式より*1)。本作は森絵都さんの同名の短編小説(『アーモンドチョコレート入りのワルツ』所収)で、ダンスとピアノ演奏を取り入れた作品、しかも北川理恵さん(二都物語のお針子!)が出演するということで、びっくりするほど好きな要素しかなく、知った瞬間にチケットを取りました。
同プログラムのなかでも今回は「中学・高校生向け」の企画ですが、いやこれは絶対大人も好きなやつでしょ!と思ったし、実際に足を運んでみるとさまざまな年齢・性別のお客さんが集まっていました。ステージには音楽室のセットがあり、下手のステージ脇にしつらえられたグランドピアノの前には、ピアノ演奏の森下唯さんが静かに座り、開幕を待っています。開演時刻になると暗転を待たずに自然と客席のおしゃべりが止み、心地よい静寂が小ホールのひし形の空間を満たしました。うまく説明できないのだけど、ふだんミュージカルを観るときとは異なる、親しみのある静けさでした。そこに学校のチャイムが鳴り響き、75分の舞台が始まります。
※以下、ネタバレです〜!
- 歌のうまさで説得されてしまう、“嘘”の魅力
- クリエイティビティの爆発としての“嘘”〜極限まで分裂する5人のキャスト
- “影”が登場人物として立ち上がる〜超絶技巧曲「鉄道」の衝撃
- モダナイズされたものと、されなかったもの〜コロッケとマカロニサラダ
歌のうまさで説得されてしまう、“嘘”の魅力
物語は、不眠症に悩まされていた中学3年生の「ぼく」(久米俊輔)が、旧校舎の音楽室でピアノを弾いていた「藤谷」(北川理恵)と出会うことから始まります。奇遇にも“不眠症どうし”だった2人は放課後に旧音楽室で待ち合わせ、週1でおしゃべりする仲に。本作のポイントは、この藤谷による語りです。最初は「母親の浮気」という実際にありそうな悩みの吐露だったのに、週を重ねるごとに荒唐無稽に。原作でも描かれたこのハチャメチャなストーリーをどうやって表現するのだろうと思ったら、3人のダンサーが入り乱れて登場人物を劇中劇のように演じる手法がとられていました。そこに、りこさん(北川さん)のソロが重ねられます。一見、ピアノの生演奏ありのストプレのようで、日常からやや浮いたストーリーを表現するためにミュージカルが用いられているのが印象的でした。すごく意味を感じたのは、りこさんの歌がすごくうまいということ。正確で美しいハイトーンは“嘘”に強い説得力を与え、聴いてたくなるならそれでいいじゃない、と思わせる力がありました。
クリエイティビティの爆発としての“嘘”〜極限まで分裂する5人のキャスト
藤谷の語りは、いよいよ藤谷一族をめぐる一大スペクタクルに。それを3人のダンサー(中村蓉、野口卓磨、長谷川暢)が身体を使い倒して「見える化」していきます。さまざまな衣装パーツや小道具をトッピングしながら、語り手の藤谷本人や「ぼく」も参入し、大量の登場人物たちが大暴れ。5人のキャストが極限まで分裂することで、ステージ上には“嘘”が興奮し、のたうち、うねり続けます。
藤谷の“嘘”はあくどいものでは決してなく、その正体はサービス精神とイマジネーションとクリエイティビティの爆発だったのだと思います。自分も不眠症であると嘘をついたのも、「ぼく」に共感を示したいというサービス精神からきているのでしょう。藤谷はちょっとしたシェヘラザードなわけで、そこには陰湿さや悪意はみじんもないということが、興奮に満ちた“嘘”パートの表現から伝わってきます。実はけろっと不眠症が治ってしまっていた「ぼく」は、その罪悪感を抱えながらも、藤谷の“嘘”に魅了されて話を聞き続けるのです。
ぼくはそんな彼女のアリアを、いつまでも聴いてたかった。彼女の光に照らされていたかった。
すべての疑問に目をつぶることで、ぼくは彼女と過ごすその満ちたりた時間を守ろうとしていたのかもしれない。
しかし、守り切るにはあまりにも、疑問が増えすぎた。「彼女のアリア」 森絵都『アーモンドチョコレート入りのワルツ』(角川文庫)P.91
“影”が登場人物として立ち上がる〜超絶技巧曲「鉄道」の衝撃
2人をつないだものは、当時の「ぼく」にとって不眠症のテーマソングであった「ゴルドベルグ変奏曲」。作中でそれを繰り返し弾いていたのがピアノの森下さんでした。しかし、本作における「ピアノ」という役割は、決して伴奏ではなかったのです。中盤に、会話のなかで「ぼく」が藤谷にふと疑念を抱く瞬間があり、それを敏感に察知した彼女が猛然とピアノを弾きまくる場面があります。会話を終えた藤谷と「ぼく」がステージからはけると、淡いスポットライトのなかで森下さんがものすごい超絶技巧曲を弾き始めました。いったい何分音符なんだろう?という高速パッセージが怒涛のように展開され、低音が猛り狂うなか、右手の小指でつむぐ旋律もすごくきれいに鳴っていて、自分が不勉強であるとはいえ、この世にこんなピアノ曲があることが信じられませんでした。ほかのお客さんも、あっけに取られたように見つめていたような気がします。ミュージカルじゃないから拍手していいのかわからない、こんなすごいものを聴いて拍手できなかったらどうしようと思ったけど、終わってみると熱い拍手が広がりました。
この曲の正体は19世紀の作曲家・アルカンが蒸気機関車をモチーフに作曲した「鉄道」。プログラムの解説に興味をもって調べたてみたら森下さんとのつながりがよくわかりました(というか、弾ける人、ほとんど存在しないようだ)。やはり貴重なものを聴いたわけです。「藤谷」のピアノを担当する「二人一役」の影から、登場人物として強烈に立ち上がる仕掛け。本作の演出面で一番あっと言わされた場面でした。
モダナイズされたものと、されなかったもの〜コロッケとマカロニサラダ
本書の単行本は1996年刊なので、原作の作品世界と現代には、およそ30年の隔たりがあります。旧音楽室で週1回待ち合わせて2人が語らう設定は、考えてみれば、スマートフォンが普及した今では成立しにくいかもしれません。でも今回の舞台化はそれを感じさせず、LINE、自撮り、AIといった話題を混ぜ込むことでうまく現代にフィットさせていました。こうしてモダナイズされたものがある一方、原作のまま登場したアイテムがありました。それは、ラストシーンで藤谷が語った「きのうの夕飯の献立」です。
虚言癖を責められた藤谷が「どうせほんとのことなんて言ったって、ちっとも面白くないんだから」と開き直った際に例に挙げたのが「きのうの夕飯の献立」。卒業式を終えたあとに旧音楽室で2人が仲直りをするラストシーンで、「ぼく」が改めてそれを尋ねるのです。
「きのうの夕飯の献立は?」
「……コロッケとマカロニサラダ、それから高菜の炒めもの」
「うまそうだな」「彼女のアリア」 森絵都『アーモンドチョコレート入りのワルツ』(角川文庫)P.115
別に古くさいメニューというわけではないけれど、人々の栄養に対する意識が高まっている現代においては(特にタンパク質に超コンシャス)、品数が多いけどタンパク質足りなくない?という視点も出てきそうです。でも、この献立はこのままがいいのです。なぜならそれが、“面白くないけど素敵な、ほんとのこと”だから。ステージで怒涛のような“嘘”が繰り広げられたからこそ、観客として“ほんとのこと”が愛おしく感じられるのだと思います。
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上記のセリフのあと、エンディングは手を繋いで退場するだけ、という抑制的なまとめ方も好印象でした(原作ではキスシーンなんですよね、ふふ)。久米さんのひょうひょうとして俊敏な「ぼく」は原作よりも明るいトーンで物語を引っ張り、とても楽しく観られました(思いも寄らないところで笑いも起きてました)。りこさんは少し危うげな女子中学生そのものだったのに、カーテンコールで座長あいさつをされるときは大人の女性になっていてびっくりしました。かわいかった〜(突然語彙力がなくなる)。

雨の雰囲気もいいね。
「これは観よう!」と思った作品に足を運ぶのってやはり楽しいし豊かなことです。たった2回しかない公演、観られてよかった。明日の千秋楽もよいものになりますように。
▼「二都物語」で北川理恵さんが演じたお針子の話をしている記事です(お針子ガチ勢)
*1:配布されたプログラムより引用。ふだん2500円でプログラムを買っているから、4ページとはいえ、いただけて動揺しました…資料とてもありがたい