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ミュージカル「ベートーヴェン」感想と考察〜ルートヴィヒとトニの《不滅の愛》を、史実と音楽から読み解く

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ミュージカル「ベートーヴェン」は、彼の死後に発見された《不滅の恋人》への手紙について、その宛先がアントニー・ブレンターノであったという説に基づく愛の物語です。初回の観劇ではひたすら圧倒され、また正直なところ話がよくわからない部分もあったのですが、井上芳雄さんと花總まりさんの魂をぶつけ合う演技に魅了され、観劇を重ねる中で、芳雄ルートヴィヒのみならずベートーヴェン」という作品にも完全に沼落ちしました。

ルートヴィヒとトニのことをもっと知りたくなり、いろんな本を手に入れて読んでみたのですが(末尾に参考文献リストあり)、読み進めるうちに初学者の私を悩ませたのは、「史実」はいまだ解明の途上であるということ。こと、彼についてはシンドラーの捏造問題もあるし、《不滅の恋人》については長年議論が続き、発信地などは特定されたものの、宛先=アントニー・ブレンターノ説は最有力とはいえコンセンサスが得られているとは言えないようです*1。トニの話からは外れますが、例えば私の中学生の頃*2は「エリーゼのために」のエリーゼは実はテレーゼだったんだよ説」が有名だったのですが、今回調べてみると、近年では「やっぱりエリーゼで合ってたわ説」が定説になっていたんですね*3。そういうわけで、現在も研究がアップデートされ続けていることを念頭に、本記事ではミュージカル「ベートーヴェン」におけるルートヴィヒとトニが、いかにして「運命の人」として描かれたかについて、史実(とされている、確からしいこと)と引き合わせながら、そして本作で重要な役割を果たした音楽を参照しながら、自分なりに考えていきたいと思います。

 

 

◆史実からみる

重要な出来事が起きた時期の調整

本作のストーリーは、最初と最後の葬儀の場面(1827年)を除くと、すべて1810年1812年の出来事で構成されています。冒頭の字幕で示される通り、1幕は1810年、2幕は1812年です。なぜなら、近年までの研究によって《不滅の恋人》への手紙は1812年にテプリツェ(テプリッツ)で書かれたものだと確定しているからです。そのため本作では、さまざまな出来事が、1810〜1812年の間にぎゅっと押し込められて登場しています。

 

難聴が決定的になったのはいつ?

まず、ルートヴィヒの苦難を象徴する「難聴」について。ミュージカルでは、ルートヴィヒが1810年にバーデンで「シュミット先生」に診てもらい、耳の異変については「6年ほど前から」であると答えるシーンがあります。つまり、1804年頃からの症状であったと考えられます。

しかし、史実ではルートヴィヒの難聴はもう少し前に確定していました。それを象徴するのが1802年に書かれた「ハイリゲンシュタットの遺書」です。数年前から難聴に悩まされていた彼は、1802年に何人かの医師を訪ねたあとに「シュミット教授」の診察を受けており、この“遺書”にもその名前が言及されています(『♪最後の希望』「♪先生が最後の希望です」を思い起こさせますね)。“遺書”とは後世の名付けで実際は新しい未来に踏み出す宣言であったと捉えられていますが、悲痛な吐露は、まさに確定診断の告知を受けたルートヴィヒが歌い上げる『♪崖っぷち』と通じるものがあります。

さらに、バーデンにおけるルートヴィヒとトニの「羊飼いの笛の音よ!」「僕には何も…」というやり取りも、“遺書”に関連した一節を見つけることができます。

けれども、私の脇にいる人が遠くの横笛(フレーテ)の音を聴いているのに私にはまったく何も聴こえず、だれかが羊飼いのうたう歌を聴いているのに私には全然聴こえないとき、それは何という屈辱だろう!

ベートーヴェンの生涯』ロマン・ロラン著、片山敏彦訳(1938,岩波文庫

このように、「難聴」の確定は8年ほど後ろにスライドされ、劇中の出来事とされたのです。特に「ハイリゲンシュタットの遺書」の要素は意図的にはめこまれていると言ってよいでしょう。

誤字直しました…!

カスパールが結婚したのはいつ?

もう1つは、弟・カスパールの結婚の時期です。本作でのカスパールは、1幕、つまり1810年にヨハンナと結婚しています。しかし史実において、カスパール・ヴァン・ベートーヴェンがヨハンナ・ライスと結婚したのは1806年6月のことでした。

本作において、ルートヴィヒとカスパールの対立は1幕での断絶・2幕での和解という対比構造においてとても重要な役目を果たしています。2幕ラストのカタルシスのためには、1幕ラストにおける兄弟の激しい諍いは、間違いなく必要でした。そのため、この争いが例えフィクションであったとしても、発端となった結婚の時期を1810年に改変する必要があったのだと思います。

なお、カスパールの息子のカール(ルートヴィヒにとっての甥)が誕生したのは1806年9月でした(ヨハンナが結婚前に妊娠していたのは史実通り)。カスパールは悲しいことに1815年に早世し(だからルートヴィヒの葬儀のシーンには登場しない)、その後ルートヴィヒはヨハンナとカールの親権をめぐって法廷で争うことになります。個人的に、本作におけるルートヴィヒが「ひどい噂」だけを根拠にヨハンナを悪し様に言うのは少し気になるポイントだったのですが、実際にはヨハンナの窃盗に関する記録も見つかっており、のちに裁判で激突することも含めて脚本に反映されているのかなと思います。

 

このように、ルートヴィヒを揺さぶった「難聴の告知」と「弟の結婚」は、いずれも史実より少し遅く、1810年の出来事として描かれました。つまり、ルートヴィヒは深刻な悩みを抱えた時期に、“タイミングよく”“運命的に”トニと出会ったことになるのです。

*4

 

ルートヴィヒの葛藤の整理

生まれながらの3つの呪い

この他、ルートヴィヒの悩みについては、以下の3つが意図的に強調されていたように思います。

  1. 貴族との軋轢
  2. 父の虐待によるトラウマ
  3. 外見へのコンプレックス

1について。開幕してすぐ、私はルートヴィヒと貴族がめちゃくちゃ対立していることに少しびっくりしました。貴族はベートーヴェンの音楽を認め、喜んで支援していたのでは?と思ったからです。ルートヴィヒの歌い出しは『♪僕こそベートーヴェンですが、貴族たちに「♪下劣!野蛮!」と包囲されながら「♪これこそ僕だ ベートーヴェン!」と誇り高く名乗りを上げることで、この構造は明確に示されます。

2については、父ヨハンが酒浸りで暴力的な指導をしていたことは概ね史実通りですが、子役を使った1幕ラストの回想のみならず、作中に一貫して「僕に命令できるのは死んだ父親だけ」「♪いまも曲を書くのが苦しい」など、辛い記憶に由来するセリフ/歌詞が出てきます。

そして3はすぐには気づけなかったポイントなのですが(なぜなら芳雄さんはとてもかっこいいので)、「♪顔のあばたを笑った…」「♪醜いのに栄光求めたせいだ」など、外見にコンプレックスを抱えていることは実は歌の中でかなりしつこく言及されます(カスパールがヨハンナに説明した幼少期の話「スペインのジプシーと呼ばれてね」なども)。

これらが強調されていたのは、なぜだったのでしょうか?

 

呪いを解く存在としてのトニ

その答えは、これらの悩みにトニがどう関わったかを考えてみると導き出せます。つまり、こういうことです。

  1. 貴族との軋轢 →貴族出身でありながら味方し、認める
  2. 父の虐待によるトラウマ →花火のシーンでそのトラウマから救い出す
  3. 外見へのコンプレックス →ありのままのルートヴィヒを愛する事で解放する

1については、トニは豪商のブレンターノ家に嫁いでいますが、伯爵家の出身でした。自分をかばってキンスキー公を諫めたトニの行動は、生まれながらの身分の差に葛藤していたルートヴィヒの胸を打ちます。ちなみに、キンスキー公爵は史実ではキンスキー侯爵で、1つ下の爵位でした。より高い位に変更されたのは、貴族の絶対的な権威を印象付けようとしたからなのか、ルドルフ大公を混ぜたのかな、という気がしています。また、演奏を拒絶するシーンの元ネタはキンスキー侯爵ではなくリヒノフスキー侯爵が相手であり(1806年)、その後『♪僕こそベートーヴェン』の歌詞とそっくりの手紙を送り付けています*5ベートーヴェンは、モーツァルトの時代を経て宮廷や貴族の庇護から独立しようとした音楽家です。序盤でそれを印象づけるにはうってつけのエピソードでした。

そして本作の深い感動にかかわる2と3について。ウィーンでの花火の夜、トラウマとコンプレックスに苦しむルートヴィヒに「♪お父様のことは忘れて…」と歌いかけ、そっとやわらかく抱きしめるトニ。ルートヴィヒはこの一瞬だけ幼い自分に退行することでトラウマから解放されます(慈悲深い天女のような花總トニと、くしゃくしゃの泣き顔で内股気味になる芳雄ルートヴィヒが、その機微を表現していると考えます)。また「♪人と違ってもいい 優れてるの 欠点じゃない」と肯定されることでありのままの自分を愛される喜びを知り、涙を流すのです。

そもそもトニのトラウマに対する嗅覚の鋭さはちょっと異常なレベルでした。1幕のバーデンでの雷雨のシーンで、トニは、両手を広げて自然と対話するルートヴィヒの背中に近寄りながら「♪わかるのあなたの心が 不思議ね私には見える 傷ついた幼い子供のあなた」と歌います。いやもう「不思議ね」はこっちのセリフですよってくらい鋭いと感じるのですが、やはり1幕でのこの把握があるから、2幕でトラウマを的確に癒やすことができるのかなと思います。

このように、トニという女性は、幼少期から抱えてきた葛藤からルートヴィヒを解放し、「あなたはそのままでいい」と認める存在として配置されています。前述のカスパールとの対立は最近のものなので、トニによる解放の対象にはなっていません。あくまでも、自分ではどうすることもできない境涯に由来する苦しみを癒やすからこそ、トニは運命の人たりうるのです。

 

トニの背景の整理

なぜフランツはここまでトニを苛むのか

さて、次にトニについて考えていきます。私もそうなのですが、ミュージカルで描かれる夫・フランツの冷酷さに困惑した人は多いのではないでしょうか。ブレンターノ家は1820年頃に家族ぐるみでベートーヴェンを支援しており、フランツへの感謝を示す資料も残されていることから、《不滅の恋人》はトニではないとする主張もあります。

ではなぜ、本作におけるフランツ・ブレンターノはここまでトニにきつく当たるのでしょうか。

 

台本上、トニを守るためになされたこと

これは、トニの立場を考慮すると合点がいきます。花總トニが魅力的だからつい忘れそうになるのですがトニはそもそも人妻でした。一つ間違えば、ルートヴィヒに恋心を抱くトニは、観客に強く拒絶されてしまう恐れがありました。

トニの置かれた状況を整理すると、以下のようになります。

  1. 夫からの愛を感じたことがない
  2. 夫から支配され、自由がない
  3. 子供に深い愛情を注いでいる

1を最も象徴するのは、1幕序盤、トニが実家の豪奢な庭で孤独に歌い上げる『♪完璧な日々』。「♪完璧よ…」と言い聞かせるものの、「優しい夫に愛されて幸せ」というような歌詞は登場しませんでした。2については、自立を試みようとしても夫に阻まれ、実父から受け継いだ財産を守ることもできません*6。このような夫婦関係であっても、3の通り子供を深く愛しており、決して「自分勝手な恋に溺れて子供を顧みない母親」ではありませんでした

つまりトニは、観客が共感しやすい人物造形がなされたうえで、脚本上、徹底的な不幸せに追い込まれていたと言えます。雷雨のバーデンでルートヴィヒに「♪ああ伝えたいこの思い でも許されない あなたは自由じゃないから」と打ち明けられたとき、トニは「♪自由になりたい」と切実な歌声で応えます。口づけを受け入れるのは、心が通いあっただけでなく、自由への希求があったからでした。脚本が人妻であるトニを(実はとても)慎重に取り扱っているからこそ、ルートヴィヒに強く惹かれるトニの心理を観客はすんなり受け入れられるのだと思います。

 

◆音楽からみる

最重要曲・ピアノソナタ第8番「悲愴」がどう使われたか

さて、本記事でもっとも書きたかったパートはここです…!(文献5,8)

このミュージカルにおいて、ルートヴィヒとトニの関係を語るうえで最も重要な曲は、間違いなくピアノソナタ第8番「悲愴」Op.13でした。他の曲とマッシュアップされることなく特定のメロディが同じ人物によって繰り返し歌われ、観客に強い印象を残すからです。

1799年にベートーヴェン自ら「大ソナタ悲愴」と名付けて出版した初期の傑作で、構成は以下の通りです。

 

トニのテーマとルートヴィヒのテーマ〜第3楽章と第2楽章

これらの3つの楽章について、登場順に2人のナンバーを示すと、大まかには次のように割り当てられています。

  1. トニ:『♪遥かな昔の物語1〜3』(1幕3場、8場、2幕7場)→第3楽章
  2. ルートヴィヒ:『♪愛こそ残酷』(2幕6場)→第1楽章+第2楽章

1の『♪遥かな昔の物語』については、第3楽章の第1主題はトニのテーマであると断言できます。最初に子供たちと歌うシーンではギターで伴奏していますが、これは実際にアントニー・ブレンターノがギターを弾けたため。3パターン出てくる歌詞も、もちろん2人の関係を暗示しています(トニは「少女」や「道に迷った貴婦人」で、ルートヴィヒは「おそろしい獣」や「猟師」)。最初に聴いたとき、軽快かつ緊張感のある原曲に対して、物悲しいギターのアルペジオとフルートがこんなにも合うのかと衝撃を受けました(確かに原曲でも左手はアルペジオで弾くのですが)。ちょっとフォークロアなムードに寂寥感をたたえたこのナンバーは、トニが抱える孤独をとてもよく表しています。

そして2の『♪愛こそ残酷』は、まさに本作の白眉といえる芳雄ルートヴィヒの仰向けフォルテシモの曲。1812年7月、テプリツェのゲストハウス*7であの《不滅の恋人》への手紙を書いているという、史実から描き起こした場面になっています(仰向けで歌ったりは絶対してないと思うんですが*8

厳密には1幕の『♪人生は残酷』(ゴーストたち)と2幕のリプライズ『♪答えはひとつ』も同じものなのですが、ここでは要素がフルで使われている『♪愛こそ残酷』のみ取り扱います。この曲の構成は、第1楽章の序奏(短調)+第2楽章の挿入楽句(短調)+第2楽章の第1主題(長調となっています。第2楽章の使い方については、“曲の途中の部分”を先に出したうえで超有名な第1主題をサビとして機能させるというシルヴェスター・リーヴァイの神業が光ります。第1楽章の序奏の「♪ジャーーーーン」という和音はまさにルートヴィヒの“悲愴”な心情を写し取っていますが、ここから同じく短調の挿入楽句を経て、美しいあの調べで愛の成就を決意させるという手法には脱帽するしかありません*9

そうなんです、これはルートヴィヒが「思いを遂げる」ことを決意するナンバーなのですが、よくよく考えるとそれは略奪を目指すことになるんですよね。ただ、「♪君は苦しまないで」という自分だけが罪を引き受けるような歌詞により、ここでもトニを安全なままにしています。このあとカールスバートに駆けつけて全力で愛を乞うときも、「♪遅くても僕たちは出会った 愛は不滅だ 乗り越えよう」と歌い上げていながら、レトリック上は「離婚して僕と逃げてくれ」みたいな追い詰め方はしていません(実はルートヴィヒの訴えはとても抽象的)。トニだけでなく楽聖ベートーヴェンのイメージも守る工夫が凝らされており、改めて慎重な手つきを感じます。

 

「悲愴」の秘密〜隠された“共通の動機”

さて、1つのソナタを2人で分け合っていることだけでも十分「運命の人」らしさが出ているのですが、さらに心憎いのが、この曲は3つの楽章に共通の動機をもつソナタであることです。

この動機(モチーフ)は3つの八分音符から成りますが、まず一番わかりやすいのが第3楽章の冒頭、つまりトニのテーマの冒頭の「♪はるか(な〜)です。これが第2楽章、つまりルートヴィヒのテーマの途中の「♪(ざんこ)くな手(で〜)と共通のパーツになっています。さらにミュージカルには使われていませんが第3楽章の挿入句には、第2楽章との関連がみられます。原曲集CDのDisc3M5、1分44秒あたりから聴くと『♪愛こそ残酷』の“サビ”と「なんか似てる!」とおわかりいただけると思います。ルートヴィヒとトニは、隠された共通要素をもつ2つの楽章を分け合っており、つまり秘めた愛を示すテーマソングとしてこのソナタはとてもぴったりなのです。

加えて、ここに絡んでくるのが、トニが歌った第3楽章に続くベッティーナの最初のソロ。あれです、“あなたの実家ってめっちゃすごいねソング”です。これは第1楽章の第2主題なのですが、歌い出しの「♪ほんと(は〜)が同じ動機で、第3楽章と同じハ短調なのでまったく同じ音でできています(♪ソドレ)*10。このパートは公演プログラムによると『♪遥かな昔の物語』としてトニのパートと1つのナンバー扱いになっているのですが、冒頭に同じ動機をもつ第3楽章の第1主題と第1楽章の第2主題をつなげるという、確信犯的な技が使われています。

とは言えこの第1楽章の第2主題がベッティーナのテーマかというとそうではなく、ビルケンシュトック邸でリプライズされる際に、ルートヴィヒも歌っています(♪先日〜キンスキー邸で)。そのあとにトニが答える「♪感謝なんて〜」や、ベッティーナが第2主題を繰り返した後の「♪ああ、彼をご存〜じ〜」「♪こどーものーこーろーかーらー」*11は、おそらくこれにピッタリくるメロディは「悲愴」には存在しておらず、その代わりオケの演奏がそのまま第2主題の続き(和音の展開)を示しているように思います。

以上のように、ピアノソナタ第8番「悲愴」Op.13は、ベッティーナを介在させつつルートヴィヒとトニによって分け合われ、アレンジの力、そして何よりキャストの技量によって大きな聴きどころになっています。個人的に興味深いのが、まんべんなく主題が抜き出されたように見えて、実は第1楽章の序奏に続くアレグロの第1主題は使われていないこと(Disc3M2 1:56〜)。ソナタの中ではとても重要な部分であるにもかかわらずです。私は、このパートをあえて使わないことで、トニのテーマとしての第3楽章と、ルートヴィヒのテーマとしての第2楽章を引き立てたかったのかなぁと推察しています。

なお、《不滅の恋人》探しの研究においては、ごく親しい人にしか使わない二人称「Du」が使われていることにも焦点が当てられました。ミュージカルにおいてもルートヴィヒがトニを呼ぶ二人称が『♪愛こそ残酷』を境に「あなた」から「君」に変化しているのは注目したいポイントです(プラハの酒場までは「あなたのせいだ!」と言っている*12)。

床にいるうちから、想いは君の許に馳せる。わが不滅の恋人よ、運命がわれわれの願いを聞き容れてくれるか、と期待しながら、時には喜ばしく、やがてはまた悲し。――君と全く一つになって生きるか、すっかり別れてしまって生きるか。僕が君の腕の中に飛び込んで行けて、君の側(そば)を本当のわが家(や)と思い、君に抱(いだ)かれて魂を精霊の国に送ることがで出来るまで、僕は遠くを彷徨(さまよ)う決心をした。

『新編ベートーヴェンの手紙(上)』小松雄一郎編訳(1982,岩波文庫

 

楽曲の献呈について

さて、そもそもの話として、ミュージカルのルートヴィヒは「愛を知らない」設定でしたが、ベートーヴェンは本当は女性に情熱的に接してきたことがわかっており(3回求婚している)、ピアノ・ソナタ第14番「月光」Op.27-2など、意中の令嬢に捧げられた曲も複数あります*13。これらがなかったことにされているのは、当然、トニとの関係を特別なものとして描くためでした。

 

ビルケンシュトック邸でトニにプレゼントした曲は何?

ミュージカルの中でも、献呈とまではいきませんが、ビルケンシュトック邸を訪れたルートヴィヒが、帰り際にポケットから取り出した自筆譜をそそくさと押し付ける様子が描かれます。

時間を巻き戻すと、その前は自宅でのカスパールとのシーンです。「ゆうべソナタを書いたんだ。聴きたいだろう」と言いながら、披露してくれるのがメヌエット(WoO.10-2)でした。うん、ソナタじゃないですね??

その後、譜面台からその楽譜をつまみ上げてルートヴィヒは下手へ退出。ゴースト(ハーモニーorアンダンテ)のダンスソロを挟んでビルケンシュトック邸のシーンに移り、丸めた楽譜をポケットに突っ込んだルートヴィヒが上手奥から現れます。つまり、トニにあげたのは、やはりあの楽譜ということです。

では、それは何の曲だったのでしょうか?ソナタと言いながらメヌエットが演奏された時点でこれはもう追求しなくてもいいポイントなのですが、ここで、「An die Geliebte(恋人に寄せて)」WoO.140という曲の第1稿が1811年に作曲されていることを関連づけてみたいと思います。なぜなら、《不滅の恋人》=アントニー・ブレンターノ説の立場からは、これが1812年にトニに献呈されたものだと論じられているからです。手書きの草稿にトニの筆跡で作者名を伏せて「作者からいただいた」と書かれていること、第1稿は伴奏にピアノorギターと指定されていることが根拠とされています(文献2、3*14)。ゆったりとした歌曲で、音源を聴いてみると1分ちょっとの短さなので、(1枚で終わるとは考えにくいですが)ポケットに丸めた楽譜をプレゼントするとしたらこれかもな?と想像すると楽しいです*15まぁ、多分メヌエットなんですけどね!!

余談:オペラグラスで譜面台の楽譜を解読しようとした話*16

 

ソナタ」の献呈はあったのか

では「ソナタ」が献呈されたかについてですが、これについては後期の3つのソナタがブレンターノ家に関連しています。この時期、ベートーヴェンはブレンターノ夫妻の手厚いサポートを受けており、ベートーヴェン」の顔として誰もが真っ先に思い浮かべる“あの肖像画”も、この時期にアントニー・ブレンターノが描かせています(1819〜1820年頃、ヨーゼフ・シュティーラー作)。

ピアノソナタ第30番(Op.109)がマクシミリアーネ・ブレンターノに献呈されたのは、1821年のこと。つまり19歳になったマクセです。マクセお嬢様…!大きくなられて…!!(突然のユリア)

一方、最後のピアノソナタ第32番(Op.111)は、恩義のあるルドルフ大公に贈られましたが、この曲のロンドン版はアントニー・ブレンターノに献呈されています。

問題になるのが、珍しく“献呈者なし”で出版された第31番(Op.110)。これは手紙等の記録によると、本来はアントニー・ブレンターノに捧げられる予定だったと考えられています(文献3,6)*17。このことが、やはり《不滅の恋人》はトニだったのは…?という想像をかきたて、本作を含む舞台作品などにつながっていきます*18

 

いずれにせよ、このビルケンシュトック邸のシーンは、ルートヴィヒの不器用な好意の示し方を表すチャーミングな場面になりました。ルートヴィヒがジャケットの左ポケットに丸めた五線譜を突っ込んでいたのは、ウィーンのハイリゲンシュタット公園に立つベートーヴェン像のオマージュと思われます(ロベルト・ヴァイダル、1900年作)。

 

◆まとめ

ここまで、史実と音楽の面から、ミュージカル「ベートーヴェン」におけるルートヴィヒとトニの《不滅の愛》がどう描かれたのかをみてきました。

ルートヴィヒとトニがお互いを強く求めたのは、自然や音楽に対する繊細な感性が、互いに強く共鳴しあったからでした(大胆を承知でいえば、ルートヴィヒはを、トニはを信仰していました)。そして結びつきを強めるにつれて、2人は「ありのままの自分でいられる」という奇跡を見出していきます。それはとても普遍的な価値で、現代を生きる私たちにも深い感動を与えるものでした。

トニは本当に《不滅の恋人》であったのか。89歳まで生きたアントニー・ブレンターノが名乗り出ることはありませんでしたが、本作に描かれた時期のルートヴィヒの静かな優しさを示すエピソードが彼女自身の語りで残されています*192人の魂が深いところで響き合っていたのは、やはり本当だったのだと思います*20

 

 

参考文献リスト(楽譜以外は出版年順、公演プログラムを除く)
  1. ロマン・ロラン著,片山敏彦訳『ベートーヴェンの生涯』(岩波文庫,1938)
  2. 小松雄一郎編訳『新編ベートーヴェンの手紙』(上)(下)(岩波文庫,1982)
  3. 青木やよひ『ベートーヴェン 不滅の恋人』(河出文庫,1995)
  4. 青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』(平凡社,2009)*Kindle版2018
  5. 梶原千史『ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全作品解説』(アルテスパブリッシング,2013)
  6. 大崎滋生『ベートーヴェン 完全詳細年譜』(春秋社,2019)
  7. 谷克二著,高野晃写真『ベートーベンの真実』(KADOKAWA,2020)*Kindle
  8. 井口基成編集・校訂『ベートーヴェン集1』(春秋社,1973)

1の頃はまだヨゼフィーネ宛の手紙が見つかっておらず、ロランはテレーゼ・ブルンスヴィック説。2の頃からはアントニー・ブレンターノ説が存在します(小松が言及しているのはM.ソロモンによる説)。1959年にアントニー・ブレンターノ説を最初に唱え、生涯をかけて追求した青木の著作は、日本の観客として本ミュージカルを検討する上では欠かせないものでした(3,4。他にも本当はたくさんあって読めていない…。)。6は素晴らしい労作で根拠の確認に助けられました。5はソナタの譜例つき解説。8は楽譜そのもので、「悲愴」は弾いたことがあり、個人的に「ベートーヴェンといえばコレ!」という思い入れのある曲でした…!まさかこんなに重要曲なんて思わなかったよね*21

 

あとは怒涛の注釈芸です↓

 

*1:研究が進み発信地や年代が特定されたことで、最初にシンドラーが唱えたジュリエッタ・グイッチャルディやロマン・ロランが唱えたテレーゼ・ブルンスヴィックなどは除外されましたが、ヨゼフィーネ・ブルンスヴィックも有力とされているようです。最新の研究については未確認ですが、大崎は書簡全集の注が列挙した条件について「この条件にあてはまるのはアントーニエ・ブレンターノをおいてほかにいない」としています(文献6,2019)。まだヨゼフィーネ説が生き残っているかは未確認です…

*2:夏休みの自由研究(調べ学習)でベートーヴェンが女性に献呈した曲をまとめたのでした。中2の魂百まで!

*3:テレーゼ→テレーゼ・マルファッティ、エリーゼエリザベート・レッケル。2010年にコピッツが発表、文献4,7

*4:ルートヴィヒ関連ではないですが、ゲーテの死後、ベッティーナ・ブレンターノが『ある子供との往復書簡』を発表したのは1835年。こちらは史実を「前に」ずらした例でした

*5:「あなたは生まれながらにして侯爵だが、私は自分の力でいまの地位にいる。この世に王侯貴族はいくらでもいるが、ベートーベンはただ一人だ」→文献7。孫引きになってしまいますが。

*6:ここは、トニに感情移入して観ていると、離婚しようとするとビルケンシュトック宮殿までぶんどられるのが最も腹立たしい設定だったのですが、そもそもカトリックでは離婚できないのではないかな?という気はしました(ちゃんと調べてない)。でも、やはり脚本上必要だったんだなという納得のしかたをしています

*7:樫の木館という名前だそうです。素敵な宿ね!

*8:カールスバートへの郵便馬車が月曜と木曜に出ていたことや、4週間滞在する予定だったことなど、史実ベースの内容がちょいちょい出てきます(文献3)

*9:すでにお気づきかもしれませんが、『悲愴』の各楽章がどのナンバーに使われているかについては、本記事の内容は公演プログラムの表記と齟齬があるのです。『♪愛こそ残酷』に第1楽章の表記がないし、『♪遥かな昔の物語1』(トニ&ベッティーナ)はともかく、『♪遥かな昔の物語3』(子役の影コーラス)には第1楽章は使われていないし、ちょっと気になるポイントです。

*10:次の大千秋楽の配信で確認しますがミュージカルではボーカルの音域を考慮してずらしてあり(たぶん色々な曲がそうですが)、たぶんヘ短調ではないかと思います

*11:ここの芳雄さんの艷やかな低音と晴香ちゃんのお辞儀の振り付けが好きすぎて12/24の配信で鬼リピしました

*12:このあと2人がどのような時間を過ごしたかも、含みを持たせた慎重な描き方をしていますよね

*13:ミュージカルではルートヴィヒがトニと出会うことで愛をインストールされる様子が描かれたのですが、例えばプレイボーイな設定にして「本当の愛を知らない」ルートヴィヒが変わっていく様を描くアプローチもあり得たかもしれないと妄想が膨らみます。激モテ芳雄ルートヴィヒっていう世界線もちょっと気になったよね…ジュリエッタからヨゼフィーネまで令嬢役のキャストが大量に必要になるので無理だと思うけどさ…

*14:M.ソロモンの主張を紹介。ただし文献6では「アントーニエの筆跡は同定されておらず」とのこと…

*15:あとはもしかしたら、1812年に当時10歳のマクシミリアーネ・ブレンターノ(=マクセ)に献呈された自筆譜「ピアノ・トリオWoO.39」だったりするかも(文献6)

*16:唯一、下手寄りやや前方で観ることができた福岡公演にてガン見しました。さすがに鑑別は無理だったのですが、冒頭にアウフタクトがあるのは確実で、ゴーストたちが持っている楽譜よりは平明で、特に左手があんまり難しくなかったので、「メヌエット」(WoO.10-2)をかなり忠実に再現した楽譜が用意されたのではと考えています。美術のこだわりがすごい!

*17:Op.110と111を“ブレンターノ夫人”に献呈する意向を述べたシンドラー宛のメモが見つかっているから(文献3)。別の手紙では「Op.110に関しては、ある人に献げることを決めており」という記載も(文献6)

*18:ということで舞台『Op.110ベートーヴェン「不滅の恋人」への手紙』の存在を遅ればせながら知りました(当時は舞台にアンテナをはっていなかったので)。観てみたかったな…。

*19:トニが病気で臥せっているとき、ルートヴィヒが毎日のようにビルケンシュトック邸にやってきて、控えの間で黙ってピアノを弾いて慰めてくれたこと。確認できたところでは、ベッティーナ宛の手紙(文献4)と、オットー・ヤンへの語り(文献2)

*20:小松雄一郎「彼女の魂がベートーヴェンと通い合う親密なものがあり、それが音楽という言葉であったことは双方にとって大きな幸福であった」新編ベートーヴェンの手紙(上)解説より→文献2

*21:井上芳雄by MYSELF 2023/5/28 OA