完全に猫なのさ

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ミュージカル「ラグタイム」感想/今聴こえるシンコペーション〜主人公は“誰”なのか考えた結果(2023年9月9日・日生劇場・初日)

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まだ半ば呆然としながらキーボードに向かっております。とても壮大で奥行きのある作品で、ミュージカルを観始めて日が浅い「私」という小さな箱には、到底入り切るものではありませんでした。

それでも言えることがある…!

観に行ってよかった。この初日に立ち会えてよかった。

 

言葉にするのが追いつかない状態ですが、ひとまず初日の感想を残しておきます。

最後の段落を除き、展開についての重大なネタバレは避けています(細かいストーリーや演出等についてはもちろん触れていますのでご注意を。あと注釈に飛ぶとそこにもネタバレがあります)。

あと、歌は全員、うますぎました。詳細については機会を改めることにして今回は潔く省略します(ええっ)。

 

※ミュージカル初心者の感想です。

※パンフレット*1は一部だけ読んでいます(書くことに影響しそうな部分は未読)。

 

 

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3つの人種をどう描くか〜表現と表層

オープニングナンバー「Ragtime」が意味するもの

開幕前。すでにスクリーンのような幕が降りていて、3つの人種の「群」の絵柄が投影されています。あと、ブランコにのってる人とぶら下がっている人も。

まだ客電が明るいうちにそっと下手から現れたのは、石丸幹二さん演じるターテ。粗末なショルダーバッグから取り出されたハサミが一閃…紙に切り込みが入れられる様子が映し出され、驚くことに、幕の中からほんものの人々が出てきました。

(これは今ならわかる、ターテの切り絵の技術が「Movie Book」を生み、さらに“ほんものの人々”が躍動する映画につながるということに)

 

カラフルな衣装に身を包む黒人

真っ白にドレスアップし、パラソルやテニスラケットを優雅に掲げる白人

静謐なグレーをまとい、トランクを捧げ持つユダヤ

 

3つの人種は一目瞭然で描き分けられ、交わることのない強固なグループをつくって舞台上を行き交います。これはすべてを日本人が演じていても、すんなりと理解することができました。

押し寄せる分厚いハーモニー、期待感をかきたてるシンコペーション。圧倒的な歌唱と管楽器てんこもりのゴージャスなオケが耳を喜ばせます*2。当時流行していた「ラグタイム」の形式をとる冒頭の「Ragtime」は、本作の「すべて」と言っても過言でないくらいの重要性をもつナンバーでした*3。これについての現時点の解釈は、後述。

 

コールハウスとブッカー・T・ワシントンはどう演じられたか

ついこの間まで、帝劇で若き作曲家・クリスチャンを演じていた井上芳雄さん。彼が演じるコールハウスは、クリスチャンよりも明らかにガッシリした体型に見えました。これは演技(歩き方など)や衣装の力によるものだと思いますが、もしかして2週間の間に筋肉をつけたのかもしれない!?という思ってしまったくらいです(絶対違う)。しかし、舞台から放たれる「体格がよい」という印象は、黒人であるコールハウスを演じる上では確実に必要なものだったと思います(本人の恵まれたプロポーションも活かしつつだとは思いますが)。

さらに歌声も深く、厚みのある低音で、ちょっと近寄りがたい緊張感も帯びていて、改めて変幻自在ぶりを実感しました。

一方、実在した黒人指導者であるブッカー・T・ワシントンを演じたのは、EXILE NESMITHさん。ラジオで芳雄さんが評していたとおりの“深い声”が魅力的でした。さらに威厳のある佇まいからは、尊敬を集める人物であることが的確に伝わってきます。

私は本作を観るにあたり、いかに「表層」から逃れて本質を受け取ることができるだろうか…とわりと真剣に頭を悩ませていたのですが、ルーツに基づく見た目をもつNESMITHさんは、私たち日本の観客にとって、想像力をサポートしてくれる得難い存在でした。黒人がどのように苦難を受け、彼がどのように人々を説いていたか。彼の好演は、そのことをすごくわかりやすく手渡してくれて、私は素直にありがたいと感じました。

 

時代の象徴としてのラグタイム

彼らには、なぜ名前がないのか

本作でとても不思議なポイントのひとつ、それは多くのキャラクターに「名前」がないこと。コールハウスなど一部の人物には名前があり、さらには前述のブッカー・T・ワシントン含め、イヴリン・ネズビットなど実在した人物の固有名詞はわんさか出てきます。でも、ターテは「父」という意味で、安蘭けいさん演じるマザー「母」。さらに川口竜也さん演じるファーザーに、東啓介さん*4演じるヤンガーブラザー…主要な役柄名の多くが続柄でしかなく、実際に観ていて感じましたが、名前を呼びかけずにお芝居をするのって、少し骨が折れるのではないかと思います。さらに彼らは入れ代わり立ち代わり“語り手”になるのですが、「お父さんは」とか「弟は」とか、自分のことなのに三人称でどこか他人事のように説明をします。これには、ちょっと頭がこんがらがったりしなくもないのです。

 

主人公は“誰”だったのか

ではなんで、こんな作りが意図されているのか。

いち観客としての私が、展開に驚愕しエンディングに涙し、カテコと初日挨拶をスタオベで称え、煙が出そうな頭で地下鉄に揺られ、帰宅して料理しながらぼーーーーっと考え続けてたどり着いたのは、この物語の主人公は“時代”そのものなのでは、という仮説でした。それはどういう時代かというと、アメリカで「ラグタイム」という音楽が流行っていた、ほんの20年くらいの間*5オープニングナンバーの「Ragtime」は、これでもかというくらい劇中で繰り返し流れ、物語の背景にあり続けました。一方でコールハウスは途中で音楽を手放すことになり、少なくとも「ラグタイム」という音楽“が”主役だったわけではないと感じます。でも、その時代にはずっと、どこかで「ラグタイム」が流れ続けていた。

劇中には人種問わずたくさんの人が登場しますが、袖振り合うも多生の縁だったり、それどころか袖も振り合わないレベルだったり、すべての人たちが深く関わり合うことはありません。本作ではラグタイムが流行っていた20世紀初頭のほんの短い間、アメリカにはこんな人たちがいました」ということを、実在の人物も取り混ぜながら提示していたのではないでしょうか。マザー、ファーザー、ヤンガーブラザー…。名もなき人が生きて、名もなきまま死んでいった*6。一見、混沌としているようですが、つまり、それこそが“時代”だと言えるのかもしれません。

 

オープニングの「Ragtime」で、交わることなく並び立っていた3つの人種。ラストシーンでは、フィクションの登場人物を用いることで願いを込めた結末が示されました*7。最後の最後、イカしたキャメルのスリーピースをぴっちり着込んだリトルコールハウスが走り込んできた瞬間、ぷつりと緊張の糸が切れて、初めて涙があふれました*8これぞカタルシスだと感じる瞬間でした。

ターテが示した子を思う深い愛情、マザーが歌った人類愛と自立心、そしてコールハウスやサラが戦った苛烈な差別…。ミュージカル「ラグタイム」は、およそ120年前を舞台としながら、良くも悪くも現代に通じる普遍的なテーマを、アメリカという巨大な器に盛りつけたダイナミックな群像劇でした。私はこの作品をちゃんとわかるにはアメリカのことを知らなさすぎる、と正直に思います。でも出会えたことを心から喜びたいです。その普遍性は、当然ながら国境を超えて私たちにも届くものだからです。

石丸幹二さんも締めの挨拶で「観たいって人、いると思います!声かけてください!」とおっしゃっていましたが、気になっている方にはぜひ足を運んでみていただきたいです。私もあと少し観る予定なので、少しずつ深めていきたいなぁと思います。作品に関わる人々の思いの深さと誠実さに、深く胸を打たれた初日でした。

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最後にちょっとだけ、重大なネタバレを含む芳雄のコールハウスの感想を置いておきますね。

 

 

 

 

 

 

 

芳雄コールハウスについて覚え書き(※ここだけネタバレです)

ファン歴1年未満の私。芳雄さんに舞台の上で死なれるのは初めてでした。

1幕の終わりに遥海さん演じるサラが命を落とした時点で、実はちょっと具合が悪くなるレベルのショックを受けており(しばらくの間、死んだのではなく気を失っているだけだと思い込もうとした)、その後、2幕でコールハウスが音楽を手放して銃を手にし、取り返しの付かない罪を犯した時点で、もう結末はなんとなく察していて、図書館の立てこもりの時点では確信していました。助かるわけない…。

ドアを開けて投降するときは、お願いだから出ていかないでと祈っていました。わかってはいたけれど銃声が響いたときは本当に辛かった…。

*9

しかし辛子色のスリーピースでビシッとキメた芳雄コールハウスは、文句なしのかっこよさでしたね。「ムーラン・ルージュ!」のクリスチャンもチェスターコートがトレードマークの1つでしたが、本作でもシフトチェンジにコートが使われていたのが印象的でした。シャープなシルエットの超ロングコート、あれを“着られてる”感じではなくしっかり着こなして裾をさばいて歩けるのは流石です!

 

日経クロストレンドの連載に登場した「感情の蛇口」という比喩の意味は、それはもう、よくわかりました。蛇口、全開でした。パッキン、ぶっとんでました。

 

熱い拍手に包まれたカーテンコール、初日挨拶ではいつも通りの芳雄さんで、笑わせてくれて、少しホッとしました*10

あらためて、日本初演という冒険をともにできること、幸せに思います。

 

 

 

 

*1:理解の助けになる資料や解説が超充実!これだよこれ!パンフにはこういうのを求めていました。自分の感想が引っ張られそうなので、今日の時点ではチラ見にとどめておいています。

*2:サントラ聴いて期待してたのです!最高

*3:このナンバーが終わったときの熱い拍手は感動的でした

*4:全員素敵だったけど、特にめっっっちゃくちゃ良かったです!!

*5:その後はジャズに取って代わられてしまう

*6:グランドファーザーはともかく、ファーザーもナレ死してしまったよ…!しかもセルフでっ…!

*7:3つの人種からなる幸せな家族ができた…!

*8:展開がショックすぎて涙が出なかったんです

*9:ブッカーから「同じクリスチャンとして」という言葉で強く説得されながら、実際にクリスチャンである芳雄さんはどんな気持ちでいたのだろうと思ったりもしました。

*10:笑いが起きるシーンはあって…「情け深い肉屋」とか。そういう救いもありがたかった。野球観戦シーンのホームランキャッチも可愛かったな⚾️