完全に猫なのさ

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「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」原作映画との比較〜クルチザンヌとしてのサティーン考

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表題のミュージカルにがっつりしっかりハマっておりまして、大昔に観た(はずの)原作映画をアマプラで観てみました。

ミュージカル映画をどのようにミュージカルにするか、ということにはとても興味があって、「雨に唄えば」もそれに注目して観たのですが、「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」の場合は、バズ・ラーマンを創造主に据えた上で、いったん全部ぶっ壊してゼロから作り直したんだ!ということがよくわかりました(このあたりはパンフレットからも読み取れます)。

(↓ここでも映画との比較をしています)

purplekuina246.hatenablog.com

 

「映画」という媒体では、実にいろんなことが可能です。空撮でパリの町を駆け抜けることも、狂乱のダンスホールを真上から眺めることもできる。舞台でそれを実現するのは不可能です。
ところが、制約の多い舞台には、映画にはない最強の強みがありました。それは観客に本当に「ムーラン・ルージュ」の客になってもらうこと。
原作のあの混沌とハイテンション、ひとことでいえばカメラがめっちゃグルグル回る感じを舞台で展開するために、ミュージカル化にあたっては徹底的に観客を没入させ(=イマーシブ)、ムーラン・ルージュを体験させるという手法をとったんだなと思いました。

 

初見の感想(7/6夜・井上芳雄ファンクラブ貸切公演)

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2回目(7/18夜)※1か月後のいま読み返すと、すでに表現やお芝居が変わったと感じるところがありますね*1

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技術論には詳しくないのでこのあたりでやめておきますが、映画とミュージカルの違いで一番興味深く感じた「サティーンの人物造形の違い」について、自分なりに考えてみたのでまとめたいと思います。

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日本初演のおふたり!どっちも大好き。

 

 

ティーンの「肩書き」の違い

ティーンの息を呑むような登場シーン(Sparkring Diamond)は、その強烈なスター性を印象づけますが、マッシュアップの中にはマリリン・モンローのDiamonds Are a Girl's Best Friendなどが使われており、セックスシンボルであることも強くアピールされています(たぶん)。これに関しては、映画もミュージカルもだいたい同じです。ところが、ティーンの肩書きは、映画とミュージカルでは表現が微妙に異なります

 

あらすじを見てみると、映画でのサティーンの肩書きは「スター」かつ「高級娼婦」と明示されています。さらに映画の冒頭で、ムーラン・ルージュという場所は「娼館」でもあるという説明がなされています。

大人気を誇るキャバレー「ムーラン・ルージュ」のスターで高級娼婦サティーンと、貧乏作家のクリスチャンは激しい恋に落ちる。

www.amazon.co.jp

 

一方で、ミュージカルでのサティーンの肩書きは、日本プロダクションの公式によれば「花形スター」となっています。

ムーラン・ルージュ! ザ・ミュージカル 』は激しい恋に落ちたアメリカ人作家クリスチャンと、ナイトクラブ ムーラン・ルージュの花形スター、サティーンの物語。

www.tohostage.com

 

もちろん、少し歴史をひもとけばムーラン・ルージュという場所に“そういった機能”があり、サティーンが“そういう役割”も担っていることはわかります。これは別に知らなくても&調べなくても劇中でちゃんと汲むことができるようになっていて(そこがいい)、例えば「パリの売春婦のことは忘れて」「娼婦にはお似合いだ」といったセリフが登場しますし、「路上に戻るのは嫌」というセリフからは下の階級の街娼に身を落とすことが示唆されています。ムーラン・ルージュが潰れたら「売春宿」になるというセリフもあるし、ジドラーの「輝くダイヤモンドを見せろ」「人生最高のパフォーマンスをしろ」だって言葉通りに受け取っちゃいけないかもだし、あとはナンバーとしては「ロクサーヌ」が丸ごとそれを匂わせているし…枚挙に暇がありませんね。また、パンフレットに掲載されているサティーン役&クリスチャン役4人による座談会でも、はっきり「娼婦」という表現が使われていました(つまり世界観として共有されている)。

 

ティーンは、「クルチザンヌ」と呼ばれる存在だったと考えられます。ブロードウェイのいくつかのレビューには確かにcourtesanという言葉が見つかりました*2*3

公式(本国)にはあらすじのページがなくて(なんで!)確認できていないのですが、そこから飛べるコレ(なんだろう、パンフの一部?)には、オペラ「ラ・ボエーム」との関連を説明する文脈でcourtesanという単語は確認できました(the courtesan, Satine

一方で、“Satine, the most alluring, bright, & beautiful star entertainer of the Moulin Rouge”*4や、“Moulin Rouge star performer, Satine”*5などの表現で、単に「スター」であるという説明にとどまっている紹介ページも結構あります。

 

そんなわけで完全に調べがついたとはいえないのですが、ミュージカルにおいては、劇中でその“仕事”を示唆しつつも、ティーンの肩書きは若干マイルドに説明されたのだと理解しました。

 

*「高級娼婦」についての参考文献。鹿島は「高級娼婦というものの存在は、その訳語のせいか、どうも日本では正しく理解されていない。」と述べており、たしかに、ミュージカルのあらすじにこの4文字をぶつけると、サティーンの職業について意図したとおりに伝わらないリスクがあっただろうなとなんとなくわかりました。*6

*7

 

 

ティーンが公爵と「するかどうか」の違い

そのことを念頭にサティーンと公爵のかかわりに注目すると、興味深い違いに気づきます。それは、身も蓋もない言い方をすれば、作中でサティーンが公爵と「するかどうか」ということ。

象の部屋で逢引するシーン。映画でもミュージカルでも、サティーンは自分の仕事として公爵(と勘違いしてクリスチャン)をゴリゴリに誘惑します*8

展開が分かれるのは、So Exciting!の大騒ぎを終えてから。ミュージカルのサティーンは、鏡台の前でスイッチを切り替え、クリスチャンの時とはまったく違うトーン*9でノックに応え、“本物”の公爵を迎え入れます。そこからのSympaty For The Duke*10では、プロとしての心意気すら感じさせる態度で公爵と挑戦的に目を合わせ続け、ナンバーの最後には長椅子に押し倒されて終わります(=これは記号的に行為を暗示している)。サティーンはジドラーの願いを聞き入れた上で、ある程度は主体的に公爵を受け入れているといえるでしょう。つまり、ミュージカルのサティーンは、公爵と「する」

ところが、映画を見返してみるとこの描き方が全然違うことに驚きます。クリスチャンとの恋に夢中になったサティーンは公爵との「夕食」を断り続け、ついにはジドラーの命令のもと渋々「夕食」に赴きますが、クリスチャンへの想いを見破って激怒した公爵に襲われそうになり、その場を逃げ出してしまいます。つまり、映画のサティーンは、公爵と「しない」。

愛していないパトロンのお相手をすることくらい、本来のサティーンには造作もないことだったのかもしれません。でも「できなかった」とクリスチャンに泣きながら訴える映画版のサティーンは、それくらいクリスチャンを一途に愛していたし、ピュアな一面が強調されているといえます。

 

ティーンが「何を希求しているか」の違い

その公爵がサティーンに与えようとしていたものも、映画とミュージカルでは異なります。ミュージカルで、心ここにあらずのサティーンが公爵との待ち合わせに遅れるシーン(Only Girl In A Material World)。公爵は美しい邸宅を指差し、それがサティーンの持ち物になることを告げます*11。この会話の始まりを合図に、背後をゆったりと行き交うセレブリティに「乳母車を押す貴婦人」と「杖をついて歩く紳士」が登場しますが、これらの人物はライフステージの変化を想像させ、公爵が、長い人生における生活の安定を提供しようとしていることを示唆しています(※長い人生にならない運命はさておいても)。

ミュージカルのサティーンにとってムーラン・ルージュは守りたいホームであり、ジドラーや踊り子たちとは疑似家族的な愛情を育んでいます。それでも、年齢的な限界を自覚しており*12、永遠に今のポジションにはいられないこともわかっています。また、Come What Mayの前にクリスチャンに抱きしめられながらハッピーエンドを夢想する場面では「安全な場所」という言葉も口にします。

邸宅を眺めている時点では死期を悟りつつあるはずだし、そもそも欲しかったわけではないとしても、ひとまず、ティーンにとって大事なものは居場所であるという仮説を立てることにします。

では、映画のサティーンは何を欲していたか。これも見返してびっくりしたのですが、サティーンには「女優になる」という夢がありました*13ムーラン・ルージュでの生活にはとうに嫌気が差しており、「こんなところは出るのよ」とはっきり言っています。前述のようにミュージカルではジドラーとの絆やニニを始めとする踊り子たちとのシスターフッドが描かれますが、映画ではその要素はあまり感じられません。かろうじて日陰者どうしの連帯があるに過ぎず、ジドラーの愛情と葛藤は映画版では非常に複雑なものだったのですが、それもミュージカルではあえて超シンプルにしたのだと思います。

ティーンにとって新しいショーへの取り組みはステップアップのために必要で、公爵は女優としての新たな地位を約束してくれる存在でした(映画の公爵は嫌な奴だけどすごく気の毒でもあります😂めっちゃお金出したのに…)。映画のサティーンはミュージカルよりも不遇でありながら、女優になって活躍したいという自己実現を夢見ていたことは*14、なんとも切なく思えます。ジドラーがサティーンに向かって言う“You’re great actress, Satine.”というセリフはとても皮肉で悲しいものでした。

 

まとめ:変わらないのは“愛の物語”であること

以上について、なんとなく考えてみましたが、そこから映画とミュージカルにおけるサティーンの人物像を整理してみたいと思います。

映画におけるサティーン(ニコール・キッドマンは、夢を持ち上昇志向があり、純粋で孤独かつイノセントな面もある。だから、純愛にのめり込む様子がドラマチックに映る。

ミュージカルにおけるサティーン(日本初演:望海風斗&平原綾香は、スターとしての自覚をもつリーダーであり、葛藤を抱えながらも前を向くリアリスト。だから、若く無謀なクリスチャンに惹かれる大人の恋にドキドキする。

*15

 

ここまで書いて気づいたんですけど、あれ、これって年齢設定がそもそも微妙に違うんじゃないの?…って今、思いました。。*16

 

ともあれ、この違いは、ミュージカル化するにあたって、現代の観客が共感を寄せやすいように意図されたものかと思います。実際に私自身は、映画のサティーンよりもミュージカルのサティーンのほうに感情移入しやすく感じました。

それでも、サティーンが貫いた愛がもたらす感動は、映画でもミュージカルでも変わりません。クリスチャンの言うとおり、これは“愛の物語”。シンプルだけど強い普遍性があるからこそ、時代や国を超えて観客を惹きつけるのではないでしょうか。

 

 

以上、映画とミュージカルで一番「違う」と感じたサティーンを中心に考えてみました。もちろん、クリスチャンもけっこう違うのですけどね*17

映画を見返して、たくさん発見がありましたし、そのうえで、ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」ってやっぱ最高!と思いました。

千秋楽の足音が近づいておりますが、私はあと1回マチソワして終わりです(号泣)。どうか無事に、最後まで駆け抜けられますように。念を送ります!!!*18

 

 

*1:芳雄クリスチャン(フランソワ)の「僕を見て」とか全然違う…!

*2:Review: 'Moulin Rouge! The Musical,' A Triumph And Jukebox Extravaganza : NPR

*3:Everything you need to know about 'Moulin Rouge! The Musical' on Broadway at the Al Hirschfeld Theatre | Official NY Theatre Guide

*4:MOULIN ROUGE! The Musical Synopsis and Story – Broadway in Cincinnati News

*5:Moulin Rouge (Musical) Plot & Characters | StageAgent

*6:参考文献2.『モンマルトル風俗辞典』(鹿島茂白水社モンマルトル風俗事典 - 白水社

*7:参考文献3.田代万里生さんのブログ→パリの本場ムーラン・ルージュ観劇・・・からの!帝国劇場『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』 | 田代万里生オフィシャルブログ「MARIO CAPRICCIO」今のムーランルージュの雰囲気がめちゃわかりやすかった!ダンサーさんのお衣装についての記述は、知らなかったので本当にびっくりした…。そもそも、劇中で使われているカルメンのハバネラのことを調べようとしてぶち当たったのがこの記事っていう。さすがまりまりさん

*8:美貌のニコール・キッドマンが嬌声を上げてのたうちまわるという物凄いギャグシーンに仕上がっている。望海サティーンとあーやサティーンのお色気攻撃、どっちもよきです!

*9:ここのあーやサティーンの「どうぞ」ドスの効き方が特に好き

*10:ここの公爵、自己紹介をすると言いながらぜんぜん名前を名乗らなくてカッコつけ続けてて好き

*11:前述の書籍『パリ、娼婦の街 シャン=ゼリゼ』(鹿島茂/KADOKAWA)では、シャン=ゼリゼの豪邸に住むという夢を持っていたラ・パイーヴァという高級娼婦が紹介されていました。1865年から10年がかりで完成させたそうなので劇中の時間ではすでに建っています。公爵が指さしたあたりのお隣とかにあったのかもしれないですね。

*12:望海サティーンがジドラーとの会話のあとに鏡を覗き込んでシミやシワ(※ないけど)を気にするような表情がいい(※ないけど)

*13:映画の黎明期と重なるのでここでは「ちゃんとした舞台女優」みたいな意味かなと思っている

*14:マズローの欲求階層説における最上位の欲求。逆にミュージカルのサティーンが大事にしていたものはその1つ下の「所属と愛の欲求」、あとはさらに下の「安全の欲求」なのかなという気もする

*15:ブロードウェイはもちろん観ていないから不明&2人のアプローチの差はここではおいておきます

*16:ウィキによれば、公開時のニコールキッドマンは34歳。初演時のカレン・オリヴォはワールドプレミア時点で41歳?のはず(その後すぐ誕生日)。中の人の年齢を考え出すと芳雄さんのところで脳がバグるので得策ではないのですが…!

*17:思ったとおり甲斐クリスチャンは原作のユアン・マクレガーに近しい雰囲気がありました!サティクリ全員やっと観れたのでまた別の記事でまとめたいです

*18:FCネタです